2008年

ーーー3/4ーーー 玄関腰掛けクッション座版

 「玄関腰掛け」という作品が、私の定番ラインナップの中にある。これは、玄関で靴を履いたり脱いだりするときに、ちょっと腰を下ろすのに便利な腰掛けである。

 ポイントは座面の高さ。普通の椅子よりは低く、玄関の上がり框よりは高く設定してある。腰を掛けて前屈みになり、靴ひもをいじるときでも圧迫感が無く、また立ち上がるときに足に負担が少ないような高さである。そして、「よっこらしょ」と立ち上がるときに、支えとなる手すりが付いている。

 元々この作品は編み座であった。最初に作った当時は、私の頭の中は編み座の椅子で一杯だった。いろいろな椅子を、編み座で作ることの可能性を追求していた時期だったのである。そんなときだったので、自然な流れとして、この腰掛けも編み座で作られた。

 今年になって、ホームページでこの腰掛けを見たお客様から注文があった。ただし、クッション座にして欲しいとのことであった。オリジナルの編み座版は、それなりに評判が良く、今までにいくつも販売した実績がある。これをクッション座でという注文は初めてであった。

 サイズは同じでも、編み座とクッション座では躯体の構造が違う。だが、その変更は、大雑把に言えば大した事ではない。他の作品で使っている技術を応用すれば、さしたる困難もなく出来るだろう。そのように予想した。

 しかし、実際に取り掛かってみると、これがなかなか厄介であった。木工技術としては、別に難しいところは無いのだが、全体のまとまりが微妙なのである。

 こういうことは、珍しい事ではない。簡単そうに見えることが、じつは難しいというのは、物事の常である。はたから見て簡単そうに見えるというのはまず怪しい。それに留まらず、制作者本人の目で見ても、見立て違いということがよくあるものだ。

 どんな点に苦労したか。かいつまんで述べるならば次のようになる。

 お客様はオリジナルの腰掛けを見て気に入られた。しかし、座面を変更して欲しいと言われた。つまり制作者としては、オリジナルの作品が持っていた魅力を引き継ぎながら、違うものを作らなければならない。

 オリジナルの作品には、それなりにチャームポイントを設定してある。ところが今回は、構造を変更するのだから、それらのチャームポイントの一部は物理的に実現できないことになる。そのジレンマをどう克服するか。

 また、ゼロから計画するのと違って、設計変更というのは、細かいところで制約がある。制約されることで、作品の雰囲気が歪められてしまう可能性がある。私自身の中で完結していることとは言え、まるで他人がやった仕事を途中から引き継ぐときのような味の悪さがある。

 ともかく、あれこれ悩んだ挙げ句に出来上がったのが、この画像の腰掛けである。私自身、心配していたようにはならず、むしろ思っていたよりも良い納まりとなったので、安心した。

 品物が届いた後、お客様からメールが入った。

「木の色と皮革カバーの色合いがマッチしていてまた落ち着きがあり、全体に上品な仕上がりにワイフも満足です。我が家の玄関に似合うと思います」とのコメントが書いてあった。



ーーー3/11−ーー 大学の相性

 次女の大学受験、前期の合否発表があった。インターネットを使った発表で、定刻にアクセスを試みたがつながらず、さんざん待たされた挙げ句に不合格だった。
 
 3学年の6月に部活を引退するまで、自宅学習はほとんど無し。授業も、嫌いな学科は居眠りをしたり、部室へエスケープ。そんな生徒が合格したら、真面目に取り組んで来た人が気の毒である。今回の失敗が身から出た錆ということは、本人もよく理解しているようだ。

 ところで、大学受験というものは、結婚相手を見つけるようなものだと私は思う。見映えとか世間体ではなく、自分と相性が良いかどうかということが、一番大事だと思うのである。

 私自身、過去の話ではあるが、ちょっと身の丈に余る大学に、偶然入ってしまった感がある。大学の勉強は、チンプンカンプンで、ちっとも面白くなかった。それだから、真面目に取り組むこともしなかった。所属したサークルの山岳部の活動以外には、充実した思い出は一つも無い。恥ずかしい話だが、この歳になっても、卒業できない夢を見る。私にとってあの大学は、かなり重荷だったのだろう。

 父もそうだったように想像する。T大の経済を卒業しているが、大学時代の話が父の口から出たことは一度も無かった。むしろ、そのことを避けているようでもあった。世間的には、たらたら自慢をしても不思議はない大学だったのに、である。

 娘が通っていた高校は、長野県でも有数の進学校である。先生方は口を揃えて「上を目指せ」と言う。自分のレベルより低い大学に行くと、つまらない思いをすると言うのである。それも一理あるとは思う。私の知り合いのある女性は、現役で受けた大学をボロボロ落ちて、あわてて無名の短大に滑り込んだ。そしたら、あまりに学生のレベルが低くて嫌になり、2ケ月足らずで退学した。翌年一流私大に合格して、満足の行く学生生活を楽しんだということであった。

 しかし、こういう例もある。

 もともと頭のできの良い生徒だったが、全然勉強をしなかったので、本来の能力に似つかわしくないレベルの大学に入った。そうしたら、回りの生徒のレベルが低いために、たちまちトップに躍り出た。それが励みとなって勉強が面白くなり、教授からも目をかけてもらえるようになった。得意満面で充実した学生生活を送ったそうである。

 何がどう幸いし、逆に災いするか、分からないものである。

 ところで、私の大学の先輩で、理科系の教授をしている人が、あるときこんなことを言っていた。「大学の講義というものは、残念なことだが、つまらなくて当然だ。教授が過去に学んだことを、学生に伝えるだけなのだから。それをつまらないからとシラケてしまって、勉学意欲を失い、可能性を閉ざしてしまう学生が居るが、もったいないことだ」。

 結婚に過度の期待を持ち過ぎたために、生身の人間の現実の生活に嫌気がさし、人並みの結婚を棒に振って別れてしまうようなものか。多少のことは我慢して、年月を重ねて行けば、充実した家庭生活を楽しめる可能性もあるだろうに。

 ともあれ、結婚相手なら、いろいろな人とお付き合いをして決めるということも可能である。しかし、大学はそうもいかない。これはやはり運を天にまかせるしか無いのだろうか。
 


ーーー3/18ーーー 手付金と申し込み金

 大阪の大学に通っている息子が、寮を出て下宿をすることになった。下宿先を探したところ、いい物件があったので、押さえるために前金として家賃一ヶ月ぶんを支払った。

 その直後に、もっと希望に合う物件が見つかった。それで、先の物件はキャンセルしようと考えた。しかし、前金は既に支払ってある。キャンセルは可能としても、前金は回収できるだろうか。

 息子からそのような電話が掛かって来た。私は、一旦支払った金は戻って来ないというのが、社会の掟のようなものだから、難しいのではないかと言った。でも、一両日のできごとだから、ダメを覚悟で返金を申し入れる価値はあると思うと話した。

 数日して、息子から電話があった。前金は全額戻って来たとのことだった。でも、そこにはちょっとしたカラクリがあったと聞かされた。

 息子は、仲介の不動産屋に前金を返して欲しいと言ったそうである。しかし相手は、「家主に打診している」とか、「もう少し時間をくれ」とか言って、のらりくらりと態度を曖昧にしていた。

 そこで息子はインターネットで調べてみた。すると、ひと口に前金と言っても、手付金と申込金の区別があることが分かった。手付金と言うのは契約を済ませた後で支払う金であり、申込金というのは契約以前に支払うものだと。そして、申込金というものは、キャンセルとなった場合には、戻さねばならないルールになっているとのことだった。息子はその知識を得て、不動産屋に交渉した。そして、お金はあっさりと戻ってきた。

 息子の話では、不動産屋はそういうことを知った上で、あわよくば前金をせしめようとしたふしがあると。確かに、一度申し込み、その後でキャンセルをした場合、キャンセルをした方に責任があるように見える。だから、前金は没収されても当然だと考えるのは、自然な感覚ではある。正直なところ、私もそう思っていた。でも、法律的には、申込金と位置づけられる前金は、返すことが義務づけられている。だからと息子は言う。不動産屋は、「例の金」とか「あのお金」という表現を使い、裏を取られるような「手付金」、「申込金」という言葉は使わなかったと。

 こういう事例で、キャンセルをした側が負い目を感じ、申込金の返却を諦めてしまうケースが多いらしい。そういう損害を被らないようにと、インターネットの関連サイトでは警告をしているとのこと。

 しかし、と思った。部屋の借り手が現れ、申し込み金も頂いて、その気になっていたのにキャンセルをされて、しかも申込金を戻さなければならないというのは、家主側が一方的に不利ではないか。それを息子に問うたら、申込金の有効期限はおおむね一週間くらいであり、それを過ぎても契約をしなければ、逆に家主の方にキャンセルをする権利が生じる。つまり別の人に貸しても良いとのこと。

 ようするに「申込金」というのは、その程度の役目しか持っていないものなのである。

 このようなルールは、私も知らなかった。息子のおかげで一つ利口になった。
 


ーー−3/25−ーー 願いかなわず

 娘の大学受験のラストチャンスである後期試験の発表があった。これも不合格だった。大学のレベルを落して、安全策を取ったつもりだったが、やはり後期試験は厳しい。前期で受けていれば合格確実のところでも、後期になると急に可能性が下がる。ともあれ、これで浪人が確定となった。

 私としては、自分が浪人経験者だから、浪人をするのも悪くはないと思っている。むしろ、目標に向かって脇目も振らずに勉強をするという経験も、なかなか良いものだと思う。実際に私の人生で、夜寝ている最中に課題と取り組む夢を見るほど勉強に熱中したのは、浪人の一年間と、技術専門校で木工を学んだ一年間しか思い出せない。

 しかし、女の子の場合、年齢的に回りから取り残されるような感じの浪人は、辛いものがあるのではないかと想像する。少なくとも、随分昔の話だが、私が受験した頃はそういう風潮であった。ところが、娘はあっけらかんとして、意に介していない。通っていた高校が進学校で、同輩にも先輩にもそういう人がたくさんいるから、特に違和感がないのか。あるいは時代が変わり、女だからという垣根が無くなったのか。

 まあ、あまり深刻になられるよりも、能天気で前向きにとらえてくれる方が、こちらとしても気がラクだ。今までろくに勉強をして来なかったのだから、「伸び代」は十分にあるはず。これからの一年間、精神的に崩れさえしなければ、来春は「サクラ咲く」となるだろう。

 それにしても、と思う。今回のネット合否発表で娘の受験番号が載っていたなら、これから先の娘の人生は大きく変わっていただろう。とりあえず住む場所も違っていたはずなのだから。そう考えると、不思議な気持ちになる。その可能性に期待し、ドキドキ、ハラハラしながら結果に接しただけに、この「もしも」の想像は、一抹の未練を伴いつつ、妙な現実感がある。

 このような人生の曲がり角は、受験に限った事ではなく、一生の間に何度も出くわすことではある。向こう側の道を進んでいたならどうなっていたか。その空想は興味をそそる。しかし、実際には何も分からないし、考えても仕方の無いことである。いや、こちらの道を進んだところで、この先どうなるかも、実は分からない。

 先年亡くなった私の父にとって、次女はとてもお気に入りだった。上の子供たちと違って、生まれたときから一緒に生活していたからであろう。彼女に対しては、とても甘いお爺さんだった。そんな父だったから、娘の願いを神様に取り次いでくれるだろうと思い、私は受験の度に父の遺影に向かって手を合わせた。

 最後の結果が出た後、私は父に「受験は全部ダメだったよ」と報告をした。写真の中で父は、いつもと同じように笑っていた。





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